とあるモーニング娘。ファンの13年のファン活動史 3
・とあるモーニング娘。ファンの13年のファン活動史 1
・とあるモーニング娘。ファンの13年のファン活動史 2 の続き
(7) 2005〜 久住小春の登場
スキャンダルが頻発し、いよいよモーニング娘。が衰退局面なのは否めなくなってきた時期です。
2005年5月に新メンバーとして久住小春が加わりました。彼女に惹かれていった経緯は別にまとめていますのでここでは割愛しますが、はじめての、そして後にも先にも唯一のメンバーが登場したこと、そしてもう一点、モーニング娘。の活動量が減少しつつありましたが、それが私自身がフォロー可能な量+αという適量に近づいたことによりこれまでになくグループへの親近感が増して、私にとってのモーニング娘。黄金時代を迎えます。このあと数年が私のファン活動の最盛期でしたね。それだけに、2009年9月19日の久住小春の突然の卒業発表はあまりに衝撃が大きかった・・・。
また久住小春の知名度上昇に伴ってファンサイトの方も予想以上にアクセスされました。メインのブログへのPCからのアクセスだけで150万hit、しっかりカウントしていなかった携帯からのアクセス(後半はPCからのアクセスより多かった)や関連ページへのアクセスを含めると全体でどれだけのアクセスがあったのかよくわかりません。そのような状況で正直後半はあまり思い切ったことが書けなくなってしまいましたが、そういったことも含めてよい想い出です。
(8) 2006〜 国民的アイドルの終焉とAKB48
この時期、グループアイドルの主役交代が近いことを感じさせる出来事がいくつかありました。
印象的だった出来事の一つは、2006年3月に発売された29thシングル「SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜」。このシングルに「上上(うえうえ)」という台詞と振りがありますが、DJ OZMA氏の「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」と同時期の発売だったにもかかわらずこちらは全く話題にならなかったことで、モーニング娘。が世間に全く関心が持たれていないことを痛感しました。
そしてもう一つ印象に残っているのは、2007年夏に耳にした、AKB48がメンバーを複数芸能事務所に分散して移籍させたというニュース。当時AKB48には大して関心ありませんでしたが、この世界にいると他のアイドルの話題もチェックしていなくてもなんとなく耳に入ってくるもので、グループアイドルの安定活動のキーであるタレントマネジメントに関して、分散・移籍という解でもって問題解決して体制を整えつつあるグループアイドルが既に存在していることを知り衝撃を受けました。この頃にはモーニング娘。はグループアイドルの1強から脱落していると認識していましたが、このニュースで次の1強がもう近くにいるんだなと実感したものです (なお似た形態のアイドリング!!!は特定メディアに依ってる限り1強の芽はないと認識していた)。
と、情況は苦しくなりつつあったものの、この時期も私自身は引き続き満足してファン活動していました。モーニング娘。の活動量はどんどん減少していましたが、久住小春の個人の活動がそれなりにあったためそれも含めると私自身がフォローできる量とほぼ一致していたので不足感もなかったからです。
(9) 2008〜 スタンスの見直し
2008年9月、ついにレギュラー番組であった「ハロモニ@」が終了しました。ここに至り、私がファン活動を開始して以来はじめて、モーニング娘。全体の活動量が私がフォローできる量を下回るという事態に直面しました。このモーニング娘。の供給不足の時代を乗り切るため、スタンスの見直しも含めた様々な方策を考えはじめたのもこの頃です。
2009年4月には深夜枠も「美女放談」となって事実上機能しなくなり、急激にモーニング娘。の活動・情報が減少してゆきました。ところが突然の久住小春の卒業発表があって2009年後半はそれで忙殺されることになります。
そして2010年。すでにAKB48が1強の地位を確立しており、以前とは違ってモーニング娘。側が泥臭く積極的に動かなけれならない状況となったのですが、結果は先の総括にまとめたとおり。
13年間、時間的余力の限りフォローしてきましたが、今回の3人の卒業を機に今後はごく緩くフォローすることにしました。